前に進めたと思えるまで続けるブログ

2017年2月から、前に進むために七転八倒、試行錯誤。前に進める日まで書き続ける記録

些細なことにイライラしたくない

イライラしやすい。

正確にいうと、不安その他のネガティブ感情が常に心に蔓延っているので、

そのひとつの表れが「イライラ」なんだと思う。

 

イライラを100%取り除くのは難しいだろう。

では、その代わりに、出来る限りイライラしないで過ごすには

どうしたらよいのだろう。

 

私の場合、ひっくるめていうと「まわりの雑音」にイライラしていることが

半分、自分自身の感情とか、どうしようもないことでイライラしていることが半分。

 

「まわりの雑音」…苦手な人の声、気の進まない予定、混雑、他人の心無い一言、とかそんなもの全部。

 

それへの対処方法は、触れないこと=シャットアウトすること。

 

ここ、もっとうまくなりたい。

イライラしないために、余計な情報に触れないように極力配慮する。

 

とはいっても、予期しないことは日々起こって、

それでイライラすることもしばしばある。

 

例えば、スーパーのレジ待ちで、前に並んでいる頭の悪そうな(失礼だけど、言動から察すると説得力が余りあるので)若いカップルが、バナナ

(まだ購入していない)を振り回して、落としたりしながら、「バナナソーセージ♪」といって騒いでいるのにイライラしたりする。

 

この人たちに良識(常識)がないことそれ自体はどうしようもないもので、

そもそも私とはなんら関係もないのだけれど、ほんの少しの時間でも、

空間を共有せざるを得ない程度の縁はあるわけで、こういう幼稚な言動に

イライラしてしまう。

 

あー、もっとシャットアウトできるようになりたい。

イライラする要素を少しでも自分から取り除きたい。

人の心の状態に影響を受けすぎない

アドラー心理学を少しネットでみてみた。

 

自己価値が低く感じてしまうのは、評価の基準を他人からの評価に

置いてしまっているから。

 

それをもっと別の言い方でいうと、他人の顔色や表情、その日の態度で

「この人は私についてこう思ってる」「嫌われているに違いない」

「怒らせてしまった」などと他人の状態から考えてしまい、

その必要はないのに、自分で自分を責めてしまうこと。

 

私、これがかなりあてはまる。

 

子供の頃は、親の顔色。

学校に入ると、親しい友達の顔色。

大人になると、恋人の顔色。

 

顔色を勝手に判断して、思い込んで、決め付けて、自分を暴走させてしまう。

極めつけは、自分からキレてしまうこと。

「そんなんならもういいよ」「どうせそう思ってるんでしょ!」と

あたってしまう。

 

これも手放したい状況のひとつ。

 

自分の評価は、自分が決めていること。

執着を手放す=期待しない

執着を手放すのは、期待をしないことに近いのかな、と思う。

そして、期待と信頼は全くの別物。

私は「信頼」しているようで、「期待」ばかりしていたのだろう。
だから、傷つく。苦しむ。不安が尽きない。

執着を手放して、前に進みたい。

これは、このブログのテーマでもあるし、私の人生で避けて通れない壁。

期待しないようにできたらどんなにいいだろう。
自然に、期待を手放す。
自分の判断で、人生を進んでいく。

できるだけやったから、これでいい。
それは、期待しない場合の思いのひとつ。

諦められるようになるには、期待をしない選択・生き方を進んでやっていくことなのかもしれない。

それでもね。

何かに期待してしまう自分がいる。

もう全部手放してしまいたい。

今日も苦しい。

3月になった

今日から3月。

 

ここの職場にいるのも今月まで。

 

2年2ヶ月か…。

うん、よく頑張ったよね。

今まで全く経験したことのなかった業界、職種。

 

何度やめようと思ったかな。

毎日苦しくて、先が見えなくて、でも仕事する以外にどうしていいかわからなくて。

 

結局、2年2ヶ月(うち2ヶ月は延長だけど)、つとめあげた。

 

最終日は、自分のために、ご褒美をあげよう。

 

そう思うと、少し顔がゆるむ。

 

またしても自己嫌悪

いいたいことがいっぱいあって

何から話していいかわかんなくて

 

甘えたいし仲良くしたいし

一方で

疑心暗鬼、猜疑心

 

「信用してる」といいながら、心のどこかに不信感があって

 

もう隠し事はしたくない、と思うから表現しようとして失敗して。。

 

そしてまた一人で暴走して余計な一言で

心配させて悲しくなって自己嫌悪

 

このループから抜け出したい

 

執着を手放したい

本当の心を伝えたい

自己嫌悪から抜け出したい

 

できなくて余計なこと言ってごめんなさい。

 

自分に素直になったら自己嫌悪から抜け出せるのかな…

 

今日は迷いがいっぱいでまた苦しい

ただただ、目の前のことに一生懸命に。

暇だと、時間に余裕があると、いつまでーも悲しみに浸って余計に悲しくなって時間を過ごしてしまった戻ってこない10年前の悔しさがあるので、

可能な限り、本当になんでもいいから、目の前のことに一生懸命になろうと思う。

部屋の掃除でもいいし、例えば歯磨きなんかでも構わない。

 

やっぱり思うのは、時間は有限だ。

人それぞれで有限のレベルは違うのだろうけど、みんな何かしらの期限と付き合いながら生きているのだと思う。

 

私は、私の有限がいつまでなのかわからない。

だから、有限がいつか来る、ということだけは胸に留めて、

ひたすら、目の前のこと、つまりは「今」に一生懸命になろう。

 

相変わらず毎日苦しいけれど、そう思うと少し気持ちが軽くなって、

救われる。

手探りで歩く

私は目が悪い。裸眼視力だと、0.1はゆうに見えない。

そのため、メガネ・コンタクトが手放せない生活を中学生以来続けてきている。

 

夜中にトイレに行くとき。めんどくさいので、メガネはつけない。

電気もつけない。

暗闇の中、手探りでトイレまでたどりつく。

そこには慣れがあるので、見えないモヤモヤ感はあれど、怖さはない。

 

けれど、人生は手探りだ。暗闇には、怖さがいっぱいだ。

「メガネ」をかけたり、「コンタクト」を使ったり、

いろいろな方法で、暗闇を抜け出そうともがいて、

その方法を手探りで探る毎日。

 

変らない状態には、満足感・幸せは薄れいつしか不満を覚えてしまうのに、

それでいて変ることは怖くて仕方ない。

 

人間は未知のものに対して、潜在的な恐怖を覚えるという。

変ることはある種の恐怖なのだろう。

 

今、変ることに強い恐怖を覚えながらも、変りたいという思いが

これまでにないぐらい強くなった。

 

だから、真っ暗闇の中、毎日手探り。

 

いい求人があった。応募しよう。

少し気分が明るい。