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前に進めたと思えるまで続けるブログ

2017年2月から、前に進むために七転八倒、試行錯誤。前に進める日まで書き続ける記録

自分に自分を肯定する言葉を言い続ける

「うつ」症状は要約すると完璧主義・過去への自責の念から生まれてしまうもの。

「パニック」症状は要約すると未知(将来)への不安から生まれてしまうもの。

 

どちらにも有効なのは、自分に自分を肯定する言葉をかけ続けること。

 

大丈夫!

なんとかなる!

自分なら絶対大丈夫!

 

これを意識・無意識で自分にかけ続けることで、うつ・パニックマインドを

自分から抜いていくのが良いらしい。

 

ネガティブな言葉を自分にかけ続けることも自由。

落ち込んで暗い気持ちでい続けることも自由。

 

同じ時間を過ごすなら、楽しい時間を。

 

効果あるのかわからないけど、自分を肯定する言葉を言ってみよう。

うん。

それでも期待してしまうし、縋ってしまう

他人への期待は、結果的に自分を苦しめる、ということがもうよーくわかったはずなのに、それでも期待して、縋って、また自分が疲れてしまう。

 

そもそも、「一切の期待を相手にしない」状態で人間関係なんて築けるんだろうか。ある意味、相手に失礼な気もするし、人間関係を築くモチベーションがひとつ足りないんじゃないか、と思う。

 

そんな風に正当化もしつつ、結局他人への期待を捨てることができていない。

 

ここで白黒思考がムクムクと現れて、「期待して裏切られるのが嫌なら、もう誰も信用しなきゃいいじゃない」と決め付けが始まる。

 

期待を裏切られるのは悲しい。辛い。苦しい。

嫌だから、それから目をそらしたい。

そうならないようにするにはどうしたら?の結論のところで、

「ならば誰も信用しなければいい」と私の場合行き着いてしまう。

 

すると今度は、「結局一生一人ぼっち」という思いから自分を解放できない。

 

悪循環から抜け出したい。

楽になれればもうどうでもいい。

願い。

願いは、心穏やかな毎日を過ごすこと。

 

ただそれだけ。

 

今朝もしっかり苦しかった。

起きたくない、仕事行きたくない、そもそももういろいろ疲れた・・・

 

朝から強烈なメンタル不具合パンチに襲われて。

 

私の希望・願いは本当はひとつ。

心穏やかに日々を過ごすこと、それだけ。

 

一度もそんな日々は無かったのだろうか。

あったとしても、自分には遠すぎて分からなかったのだろうか。

そういう時間はあっという間に過ぎてしまったのだろうか。

 

心穏やかに過ごせる日を心から望んでいる。

 

まだまだ苦しい。

うつ傾向は遺伝するらしい

うつ関係の著作で読んだことがあって気に留めていたのだけれど、

うつ傾向は遺伝するらしい。

 

この説の真偽はよくわからないけれど、家系による遺伝、

というよりは、周囲の人でうつ傾向の人の影響をどれだけ受けるか、

なのではないかと個人的には思う。

 

私の場合、自分の元々持っている性質(スーパーネガティブ、心配性)に

加えて、母親遺伝の強迫神経・パニック傾向、18歳のときに付き合ってた重度のうつ病患者の影響が多分大きい。

脳の神経、伝達物質の問題といわれるならば、そこをトレーニングしていけば、うつ傾向は改善することになる。

 

糖質制限とか、うつ対策はいろいろあるらしい。

 

私がやっているのは、漢方の服用くらい。

少し心療内科に通ったこともあったが、カウンセラーもまちまち、医師との信頼関係を築くのも苦しそうと思い、処方された抗不安薬も結局服用せず、いつの間にか通院も無駄と思いやめてしまった。

 

苦しい日と、少しマシな日を行ったりきたり。

うつ傾向は遺伝による脳の病気、ともし割り切れるならまだ違うのかもしれないけど、自分の心を少しでも楽な方向に安置できるようにするトレーニングは、今の状況から頑張って続けていくしかない。

 

楽しみを素直に感じられない

このブログの主旨は、

前に進みたくてもがいている私が、前に進めた(次のステージに進めた)と確信できるまで、日常生活で学んだことだったり、感じたことを記録していく

こと。

 

毎晩、眠る瞬間に、このままずーっと眠っていたい、と思う。

毎朝、目覚めた瞬間に、起きたくない、このままずーっとごろごろしていたい、と思う。

 

私の人生、基本的に、

「あぁ、楽しみで楽しみで仕方ない」という感情になったことがほとんどない。

要は、楽しみを素直に感じられないうちに、楽しみ方がわからなくなってしまったのだと思う。

 

これが、私の「苦しい」を作り出しているひとつの原因。

それはよくわかってる。

 

素直に、心に何の嘘もつかないで、楽しみたい。

本当に思う。

 

最近少しわかったのは、自分の心に何の嘘もつかないで楽しみたいなら、

自分で自分の人生をひとつひとつ選択していくしかない。

 

結果ではなく、その過程。

 

まだまだ心に100%嘘をつかないで楽しみを感じるのには時間がかかりそうだ。

 

些細なことにイライラしたくない

イライラしやすい。

正確にいうと、不安その他のネガティブ感情が常に心に蔓延っているので、

そのひとつの表れが「イライラ」なんだと思う。

 

イライラを100%取り除くのは難しいだろう。

では、その代わりに、出来る限りイライラしないで過ごすには

どうしたらよいのだろう。

 

私の場合、ひっくるめていうと「まわりの雑音」にイライラしていることが

半分、自分自身の感情とか、どうしようもないことでイライラしていることが半分。

 

「まわりの雑音」…苦手な人の声、気の進まない予定、混雑、他人の心無い一言、とかそんなもの全部。

 

それへの対処方法は、触れないこと=シャットアウトすること。

 

ここ、もっとうまくなりたい。

イライラしないために、余計な情報に触れないように極力配慮する。

 

とはいっても、予期しないことは日々起こって、

それでイライラすることもしばしばある。

 

例えば、スーパーのレジ待ちで、前に並んでいる頭の悪そうな(失礼だけど、言動から察すると説得力が余りあるので)若いカップルが、バナナ

(まだ購入していない)を振り回して、落としたりしながら、「バナナソーセージ♪」といって騒いでいるのにイライラしたりする。

 

この人たちに良識(常識)がないことそれ自体はどうしようもないもので、

そもそも私とはなんら関係もないのだけれど、ほんの少しの時間でも、

空間を共有せざるを得ない程度の縁はあるわけで、こういう幼稚な言動に

イライラしてしまう。

 

あー、もっとシャットアウトできるようになりたい。

イライラする要素を少しでも自分から取り除きたい。

人の心の状態に影響を受けすぎない

アドラー心理学を少しネットでみてみた。

 

自己価値が低く感じてしまうのは、評価の基準を他人からの評価に

置いてしまっているから。

 

それをもっと別の言い方でいうと、他人の顔色や表情、その日の態度で

「この人は私についてこう思ってる」「嫌われているに違いない」

「怒らせてしまった」などと他人の状態から考えてしまい、

その必要はないのに、自分で自分を責めてしまうこと。

 

私、これがかなりあてはまる。

 

子供の頃は、親の顔色。

学校に入ると、親しい友達の顔色。

大人になると、恋人の顔色。

 

顔色を勝手に判断して、思い込んで、決め付けて、自分を暴走させてしまう。

極めつけは、自分からキレてしまうこと。

「そんなんならもういいよ」「どうせそう思ってるんでしょ!」と

あたってしまう。

 

これも手放したい状況のひとつ。

 

自分の評価は、自分が決めていること。