記憶と忘れていくこと
30になると、本当にいろんなことを忘れやすくなる。
20歳の時にはありありと覚えていたいろんなことがだんだん思い出せなくなくなる。
いいこともわるいことも。
それはたぶん半分くらいは感性が鈍ったことが原因にあるんだと思う。
それでも、苦しいとか辛いとか感じる感性が鈍ったならそれでいいの。
忘れたようで時々心を抉る記憶、それも少しずつ、和らいで柔らかくなってちょっと悲しくなってそのあと深呼吸して忘れたらそれでいい。
体を鍛える・整えること
おそらく、いや多分100%、心の状態と体は密接に関係している。
心の状態がほぼ常に曇or雨の私は、気をつけていないと体がすぐにその影響を受ける。
しっかり睡眠時間を取ると、翌朝かなり回復するのは、体の調子も大きい。
長い冬が終わって、長い激務の職場を離れて、都心での勤務から離れると、
日中の光の多さと空気の気持ち良さがとてもよくわかる。
本当に、散歩だけでもいいんだ、ってなぜか思えてくる。
少し外を歩いて、ベンチに座って、何も考えなくていい。
飽きたら、また歩いて。
薬のんだり、心療内科で診察受けるより心がラクに、軽くなるのは何故だろう。
ありがたい。
今日も暖かくて、気持ちの良い散歩ができた。
ひさしぶりの更新
仕事で異動があり、バタバタしておりました。
ようやくブログ再開することができるまでに日常を取り戻せたかな、と思います。
安心してください、前には相変わらず進めておりません。
人間には、「マイナスの状態」で自分を満足させる機能があるらしく、
おそらく私はそれなんだろうなと思います。
それをずっと続けているからなのか、
それとも最初からなのか、
「マイナス状態」しか知らないからなのか、
「プラス」の状態を恐れる。
たまーに、いろんなことが思っていたよりも上手く行く日がありますよね?
そういうときに、嬉しいよりも「怖い」「この後悪いことが起こるに違いない」という
思いが出てくるのです、真っ先に。
この不幸大好き(=不幸でいる自分に「ほら、ね、やっぱり私って幸せになんてなれないでしょ」安心する状態)状態をとにかく本当はやめたいのです。
外は春。
なにもかもうまくいかないなら、いっそのこと、自分で舵を取るのをやめて、
本当になるようになる、流されていてもいいのかもしれない。
久々の更新なのに、前を向くのはとても時間がかかりそうな内容ですみません。
全然更新できてませんが」
4月以降毎日更新を目指します。
一旦休止。
自分に自分を肯定する言葉を言い続ける
「うつ」症状は要約すると完璧主義・過去への自責の念から生まれてしまうもの。
「パニック」症状は要約すると未知(将来)への不安から生まれてしまうもの。
どちらにも有効なのは、自分に自分を肯定する言葉をかけ続けること。
大丈夫!
なんとかなる!
自分なら絶対大丈夫!
これを意識・無意識で自分にかけ続けることで、うつ・パニックマインドを
自分から抜いていくのが良いらしい。
ネガティブな言葉を自分にかけ続けることも自由。
落ち込んで暗い気持ちでい続けることも自由。
同じ時間を過ごすなら、楽しい時間を。
効果あるのかわからないけど、自分を肯定する言葉を言ってみよう。
うん。
それでも期待してしまうし、縋ってしまう
他人への期待は、結果的に自分を苦しめる、ということがもうよーくわかったはずなのに、それでも期待して、縋って、また自分が疲れてしまう。
そもそも、「一切の期待を相手にしない」状態で人間関係なんて築けるんだろうか。ある意味、相手に失礼な気もするし、人間関係を築くモチベーションがひとつ足りないんじゃないか、と思う。
そんな風に正当化もしつつ、結局他人への期待を捨てることができていない。
ここで白黒思考がムクムクと現れて、「期待して裏切られるのが嫌なら、もう誰も信用しなきゃいいじゃない」と決め付けが始まる。
期待を裏切られるのは悲しい。辛い。苦しい。
嫌だから、それから目をそらしたい。
そうならないようにするにはどうしたら?の結論のところで、
「ならば誰も信用しなければいい」と私の場合行き着いてしまう。
すると今度は、「結局一生一人ぼっち」という思いから自分を解放できない。
悪循環から抜け出したい。
楽になれればもうどうでもいい。
願い。
願いは、心穏やかな毎日を過ごすこと。
ただそれだけ。
今朝もしっかり苦しかった。
起きたくない、仕事行きたくない、そもそももういろいろ疲れた・・・
朝から強烈なメンタル不具合パンチに襲われて。
私の希望・願いは本当はひとつ。
心穏やかに日々を過ごすこと、それだけ。
一度もそんな日々は無かったのだろうか。
あったとしても、自分には遠すぎて分からなかったのだろうか。
そういう時間はあっという間に過ぎてしまったのだろうか。
心穏やかに過ごせる日を心から望んでいる。
まだまだ苦しい。